2009年11月30日月曜日

山崎さん

11月28日。平日処理しきれなかった仕事をするため大学に。なんとか予定どおりに仕事をやり終える。来年度予定される国際シンポジウムは思った以上に仕事が多そうだ。毎年ある仕事ではないので、勝手がわからない。本部・支部、支部内の役割分担など調整も必要だ。まあひとつずつクリアしていくしかない。
夕刻、人博の山崎義人さんが来研。季刊まちづくりの原稿打合せ。縮退する都市に関する原稿を協同で書くことになった。互いに関心のある点を確認しながら、全体フレームを仮設定。私はランドバンク、山崎さんは坊勢の事例などをもちよって構成することになった。字数は多くないのだが、テーマは深いので、難しい。とにかく一度書いてみることになった。
その後、杉本町駅前の焼き鳥屋へ飲みに繰り出す。結構な盛り上がりをみせ、山崎さんを引き止めてしまった。佐久間先生にも電話してしまい、迷惑をかけた。
睡眠不足が続いていたので、帰宅後はすぐ就寝。

2009年11月27日金曜日

HANA★JOSSさん

まちのコモンズに出演してくれたHANA★JOSSさんがHPに写真を載せたいので送って欲しいと依頼をうけたので、何点か見繕って送ったところ、早速HPにアップしてくれている。


国際シンポなど

来年度奈良で開催される都市計画学会の国際シンポの準備作業にとりかかる。
アカデミックな仕事が苦手な私はロジ担。エクスカーションやパーティ、テクニカルツアー等をとりまとめる。奈良のことは詳しくないので一から調べないといけない。
皆さんにも協力をおねがいせねば。
午前中は大阪府の某会議に出席。橋爪紳也先生と少し立ち話。いろいろと大事な話があるのだが、ようやく意思疎通がはかれてきた。
いろいろな意味で時代の転換期にあることを痛感。こういう時代こそ守りではなく攻めの姿勢が必要だ。

もろもろの仕事

先週まちづくり関連でのイベントに忙殺されたため、積み残していた学内関連事務が忙しい。次年度シラバスの提出や時間割変更、担当者変更等の作業に追われる。〆切間近だ。
学会委員関連の事務も山積み。ブルーな気分。
各大学とも教員はどんどん減っているのに、学会の仕事は一向にダウンサイジングされない。必ずしも縮小すべきとは思わないが、体制に見合った学会活動のあり方は考え直すべきだと思う。このままでは皆が疲弊してしまう。
都市学科で今後どのような講義展開を図るかも考えてみる。
計画はよりデザインとの親和性を高めて、空間、アクティビティを一体的にマネジメントしていく方向性が必要であると痛感している。そのための教育カリキュラムをどう展開するか。ここ2年が正念場だと思う。新設科目ラッシュ、担当科目増のためしばらくは大変だが、とても重要なテーマだ。のちのち良かったと思えるようにしたい。
季刊まちづくりの原稿執筆構想にも取り組みはじめた。都市計画法の抜本的改正に向けた問題提起を現場レベルからしていくという主旨で取り組んでいる。私の担当は地域をマネジメントする主体の位置づけ、都市の縮退と集約、状態を維持する都市計画の3つ。論点を明確にしなければ現状制度に文句をいうだけで終わりかねないので、その整理に取りかかる。もうすこし時間がかかりそうだ。
来週にはKISER研究会の記者発表も控える。年明けには三重県での講演会もある。いろいろと準備をせねば。本当はじっくり論文を書きたいのだが・・・

2009年11月25日水曜日

船場フォーラム

11月24日。夜船場フォーラムの打合せ。今年度の船場フォーラムをどうするかという会議。船場げんきの会は5年目を迎え、新たなフェーズを摸索している。関係者の様々な思いが交錯して議論が収束しない。私がひっかき回してしまったところもある。げんきの会が今後どうするかということにも大きく関わる問題だ。げんきの会は個別に活動する様々な団体の柔らかな連携を目指したヴァーチャルな組織でもある。新たな展開を摸索するにも、どのあたりに軸足を置くべきかが定まらない。新たな仲間を呼び込む、プロモーションの拡大、船場ブランドの確立といったあたりがキーワードとして整理はされてきたが、内容はこれから。昨年度のように2月のマンスリーアートカフェで駆け足でまとめるような展開は避けたいし、フォーラム当日だけの問題提起にも終わらせたくない。その一方で誰がするねんという問題もある。げんきの会という組織の面白さ(個性)でもあり、難しさでもある。再び打合せすることを約束し解散。多くの人に賛同してもらえるテーマ設定が重要だろう。

11月21日 RIPS

携帯に忽那裕樹さんから留守番電話。RIPSの件で相談があるという。深刻な様子。
HOPE修景披露会終了後、連絡をとりあい、E-DESIGNへ直行。内容は言えないが、RIPSの抱える案件について、何人かのメンバーと熱のこもったディスカッション。結論は出ていないが、非常に重要な議論だったと思う。
その後打ち上げで飲みに行く。疲れ果てて意識がもうろうとしてきた。終電で帰宅。

11月20日 COU都心居住

今回は、都心居住がテーマ。3年前のベイ機構調査でアルパック堀口さんにお願いして都心居住マンション住民へのアンケートを実施、それと連動して昨年から今年にかけ小林郁雄さんらが神戸で実施したアンケート結果の報告。都心居住者の多様性に加え、改めて都心商業地域の住宅地化に対する都市計画の無防備さが浮き彫りになった。都心回帰は都心の活力再生という意味において歓迎すべき部分もあるが、既存の市街地との関係性についてはほとんどルールのようなものがない。規制ありきの議論をしたいわけではないが、想定の範囲外であることは確かであって、衰退する商業、オフィス機能がどんどん弱まっていくことが懸念される。都心は混在が望ましい。しかし、混在のマネジメントという課題について、日本の都市計画は真剣に考えてこなかった。用途純化は比較的得意なのだが、混在のマネジメントという問題はこれからの都市計画の大きな柱の一つになるように思う。

11月10日 湯浅


すこし前のはなし。和歌山県の方に案内していただいて、湯浅の伝建地区を見学。目的はまだ明確には言えないが、景観に関する検討の一環として訪問。湯浅を訪れるのは久しぶりだが、伝建地区指定後は初めて。見違えていたのにびっくりした。ところどころ修景が施された街並みは、徐々に息を吹き返しつつある。観光客も増えている。和歌山には魅力的な街並みが実は沢山ある。これらを生かしたまちづくりをもっと進めていけば、和歌山の活性化にもつながるはずだ。

船場HOPEと神農祭


11月23日。つづいて卒業生の福井麗が取り組んでいる船場のイベントへ。ケイオスの澤田さんが中心となって進めているHOPE事業関連のイベント。船場ことばのトークショー。船場の奥深さを改めて実感。福井麗もクビにならずがんばっているようだ。がんばれ。
船場は相当盛り上がりを見せてきている。地元の内発的な活動は相当活発だ。本当に熱心な人たちばかりで頭が下がる。
あとは、これを船場の情報発信力、ブランド力アップにしっかりと繋げていくつなぎが重要だと思う。みなさんのがんばりがしっかりと伝わる環境づくりが重要だ。このあたりはまだまだ工夫の余地があると思う。船場再生の道筋はしっかりと整ってきた。
その後神農祭でにぎわう小彦名神社へ参拝。谷口さんや小西さんと顔を会わせる。その後五感前では杉本さんとばったり。みな船場が大好きなのだった。

神戸ビエンナーレ


11月23日。昨日の22日は自宅で泥のように眠る。先週はまちのコモンズで、久々に完徹を何度も敢行したため、動けなかった。
23日は卒業生の高垣君が出展している神戸ビエンナーレを見学に。彼の参加しているユニットLPの作品をしばし鑑賞。少し哀しげな空間のような気もするが、緑を浮き上がらせるアートというアイデアは面白い。神戸ビエンナーレはコンテナをアートスペースに見立てた斬新なアート展だ。多くの人が訪れて会場もにぎわっていた。
高垣。がんばれ。

HOPE事業修景


11月21日。船場HOPE事業の近代建築修景第一段として、芝川ビル、生駒ビルの修景完成披露会に参加。芝川能一さん、生駒伸夫さんとも近代建築オーナーとして、誇りをもっている。民間の近代建築が多く残る船場では、これはもはや共有資産といってもよい価値をもつ。改めてオーナーの熱意に脱帽。橋爪紳也先生が20年前に生駒時計店を訪問したときのエピソードは感動と笑いにあふれるものでした。大切だと思うものを素直に大切だと言うことの大切さを実感。

まちのコモンズ終わりました


怒濤の一週間が終了。最終日21日は午前中は船場研究体(都市計画研究室の学生たち)が街歩きツアーを敢行してくれました。和気あいあいと船場の魅力を訪ねるツアー。ご苦労様でした。
午後はシンポジウム。京都市宗實さん、DAN計画研究所の杉本さん、池田会長らを招いてディスカッション。コモンズの発展方策についてよい議論ができた。
それにしても疲れました。

2009年11月19日木曜日

まちのコモンズ開催中


今週一週間、まちのコモンズ開催中です。高麗橋・道修町界隈にお越し下さい。ちょっといつものまちと違うまちの風景、音の風景が見えるはずです。


2009年11月7日土曜日

ゼミなどなど

11月7日。社会人博士課程の論文ゼミ。学会論文の打合せと博士論文の方向性について議論。昨日の阿久井と同じく働いているので、充分な時間の確保が難しいようだ。私も働きながら論文を書いたのでそのつらさは良くわかる。肉体的なしんどさもさることながら、日常の仕事と頭の使い方が異なるために、その切り換えが難しいのだ。論文の場合はやはりまとまった時間がないとまとめるのが難しい。寝ても覚めても論文のことを考える時間が必要になる。方向性が見えてきて作業ベースに落ちてくれば、仕事との両立もさほど難しくはないが、論文の骨子や基本的な思想を確立する作業は反復作業も必要となるし、あまりに多くの情報がある一方で明快な原理を見出す試行錯誤も必要になる。集中しなければ難しい。ともかく、次回は年内に打合せをすることを約束。
その後、修理から戻ってきたパソコンモニターの設置や故障のため買い替えたスキャナなどを据え付け。ようやくたまっていたポジやネガのデジタル化を再開できる環境に復帰できた。

ゼミ

11月6日夜。卒業生の阿久井君と学会論文ゼミ。仕事をしながらなのでしょうがないが、論文の焦点が定まらない。前回のゼミからようやく方向性が見えてきた。論文の構成が複雑(よく調べているということでもあるのだが)なので、なんとか明解な構成にするべく試行錯誤。なんとか整理できそうだ。その後M2も交えて飲み会に。近況を聞きながら奮闘ぶりに勇気づけられる。土木の世界にデザインを持ち込もうという志で取り組んでいるようだ。会社の人たちも暖かく見守ってくれているようでありがたい。

2009年11月6日金曜日

演習格闘中




3回生後期演習環境都市工学演習IIIの中間講評会が週明けの月曜に迫っている。学生たちはその準備に奮闘中。平林といえば、地元企業の組織、平林会が10月25日に平林祭りを開催していた。木材製品の販売や子どもたち向けの木材遊びなど、多彩なイベントを展開してました。平林貯木場はおそらくわが国最大の私有水面で、区画整理によってわざわざ整備された貯木場のための水面という特徴をもっている。産業構造の転換など様々な環境の変化によって、まちの将来像を考え直す時期に来ている。その土地利用転換構想を検討するというのがこの課題。学生には難しい課題なのだが、いまさら更地に計画を立てる演習ばかりもどうかということで数年前から取り組んでいる。


2009年11月4日水曜日

今年もやります まちのコモンズ


今年もまちのコモンズのシーズンが到来。昨年からはじめたまちのコモンズを、今年はさらにパワーアップして実施します。11月16〜21日の1週間。高麗橋でお会いしましょう。平日は公開空地でのコンサートとトークショーなどのイベント。週末はまち歩きとシンポジウムです。
なぜ都市計画研究室がこんなことに参加しているのか?(船場アートカフェのプロジェクトに参加しています)と思われるかもしれません。都市活動を円滑にすすめるために、道路や公園などの都市施設があり、用途地域などの土地利用コントロールが定められ、これらによって、都市は計画的にその機能を発揮しています。それが都市計画の原則です。しかし、それだけでは都市空間は生き生きとしないという課題をいまの都市は抱えています。コモンズの悲劇という言葉に代表されるように、公園や、公開空地など「だれのものでもある場所」として位置づけられているものが、「だれのものでもない場所」になっているケースは少なくありません。それを解消するための社会実験として、地域を活性化させる社会実験として、そしてそのきっかけを与える触媒としてアートの可能性を追求する。それがまちのコモンズなのです(写真は去年の風景)。

2009年10月29日木曜日

都市計画法の今後

10月21日
首都大学東京の饗庭先生の声かけで、都市計画法の抜本改正の動きにあわせて、都市計画の若手の問題意識や建設的提案をするためのディスカッションが大阪で開催された。東京から饗庭先生、東大真鍋先生らも参加。大阪も若手はフルメンバーに近い集まり具合。自治基本条例との関わりや都市計画の社会実験の制度化、土地利用の一体的コントロール、地区計画の詳細化、都市計画審議会やマスタープランの位置づけ再考、二段階都市計画など多岐にわたるテーマで真剣議論。普段はなかなかできない議論ができた。

船場センタービルミュージアム


9月分(順序が逆ですみません)
船場の4商店会合同のお祭り「船場まつり」(9.14-21)で、船場センタービルミュージアムを開催。船場センタービル5号館2階の空き店舗をお借りして、船場センタービルの建設経緯を紹介し、模型の展示や当時の記録映画を上映。懐かしんでくれる人や、新鮮に受け止めてくれるひとなど反応は上々。船場センタービルは20世紀の都市計画史にのこる事業の一つ。その一方で疲弊する地域など様々な問題を抱えているのも事実。21世紀の船場を考えるうえで重要なテーマであることは間違いがない。
学生君たちはよく頑張ってくれました。ありがとう。

ピクニックミーティング


10月10日。水都大阪2009閉幕の直前に、東横堀川でピクニックミーテイングに参加。東京ピクニッククラブの伊藤香織さんも駆けつけてくれた。普段は柵で囲まれた公園用地を社会実験として使わせて頂き、ピクニックを開催。大変な盛り上がりだった。橋の上から飛び入り参加する人もチラホラ。公共空間を問い直す良い機会になった。その後、メンバーで打ち上げ。橋爪紳也先生や間宮吉彦さん、中谷ノボルさんらも駆けつけてくれ、こちらも大宴会に。この人たちのパワーがあれば、大阪だって盛り上がるはず。

平林 フローティングハウス


10月15日 学科3回生の演習で平林の見学。千島土地、岩田土地、平林会の方々のご協力をえて、平林の発展経緯や現在の課題等についてお話をうかがう。フローティングハウスの見学もさせていただいた。学生たちは興味津々のようだ。非常に難しい課題なのだが頑張って欲しい。

Mac Pro 復帰

グラフィックボードの不調でモニターがすぐ消えてしまう症状が続いていたMac Proのボードを交換。ようやくもとどおりになった。あわせてMacの新OS Snow Leopardもインストール。非常に軽快。もともと使い易いOSだったが、更に使い易くなった。
ブログも再開できました。

2009年9月17日木曜日

Mac Pro 故障

メインマシンのMac Proが故障。とはいっても本体ではなく、グラフィックボードの模様。5分ほどは動くが、しばらくすると突然画面が真っ黒になる。パソコンもモニターも異常はないようなので、グラフィックボードだと思う。データはバックアップしてあるので問題なし。しかし修理が完了するまで、しばらくホームページ、ブログの更新ができない状況になってしまう。10月には復帰できるでしょう。

2009年9月5日土曜日

9月1日 タイ・チェンマイ


(タイ・バンコクより)
午前はチェンマイ市とミーティング。冒頭、発展と文化の保全の両立というキーワードからスタート。歴史文化的価値の観点から保全をアピールされると思ったのであろうか。チェンマイ市の現状は、景観的価値に重点をおいたコントロールやアーバンデザインにはまだ取り組めていないというのが実情。とはいえ、川沿いの高さ規制や運河内の保全のルールは一応定められている。しかし、機能していないということのようだ。とはいえ、懇切丁寧に対応してくれた。また都市計画図等の貴重な資料を提供いただいた。
午後はチェンマイ大学へ。karunaの職場でもある。北部最大の国立大学にふさわしく、とても大きい。車でなければとても移動できない規模である。歴史文化的建築を専門とする先生とディスカッション。タイの建築、特に北部は、ラオス、ビルマ方面の影響も受けているし、中国系の影響もある。またタイという国になるまでは、北部はランナータイ王国という別の王国となっていたこともあり、バンコク様式もこの地域の文化からいえば流入してきたものになる。つまり、様々な建築の様式が混合されてそれぞれの建物が成り立っている。こういう状況のなかで、地域らしい建築、地域らしい街並みを解き明かそうというKarunaのテーマは挑戦的であり、困難でもある。この日の夕食はタイスキ。美味であった。タイ人はしないという雑炊でしめる。

2009年9月2日水曜日

8月31日 タイ・チェンマイ


(タイ・チェンマイから)

朝、関西空港からタイへ。バンコクで学生と合流してチェンマイへ。空港にはカルナさんが迎えにきてくれ、車でホテルへ。その後すぐにチェンマイのローカル料理を出してくれるというレストランへ。明日はチェンマイ市とチェンマイ大学へのヒアリングする予定へ変更することになった旨報告を受ける。まだ街をしっかり見ていないのでヒアリングのタイミングとしては適切ではないと思うがやむを得ない。学生たちとタイ北部の伝統料理を堪能。基本的にはタイ料理のなかでは穏やかな味の部類のものが多いが、激辛料理に遭遇。カルナさん以外は全員ノックアウト。全般的には美味。しかも安い。トゥクトゥクや露店が街を埋め尽くすアジア都市のバイタリティをひしひしと感じる。

8月28−29日 仙台


(タイ・チェンマイから)


28日は私の所属する景観小委員会主催の研究懇談会。景観の計画的リビジョンというテーマ。景観の今後の取り組みについて幅広く発散型の議論を展開する趣旨で、いろいろな問題提起がなされた。昨年度までの生活景からの新たな展開を模索する時期での議論なので、協議型景観づくりの可能性や、まちづくりを映す鏡としての景観の意味など幅広く議論が展開。五十嵐太郎先生の建築からのアプローチも新鮮。電柱悪者論への意義も唱えられたが、私も電柱=悪というわかりやすい構図には違和感を感じている。景観には観る側の「観」がある以上、絶対悪=事前確定型の排除すべき景観が全国一律で存在するとは思えない。事実電柱や電線の景観は電気供給の黎明期には文明開化の象徴として肯定的評価を受けていたこともある。変わりゆく街並みに加えて変わりゆく「観」に景観づくりがどう向き合うかが問われている。

懇談会終了後、委員会メンバーで寿司屋で反省会。帰り際仙台駅前で建築計画研究室の学生と出くわす。

翌朝、29日朝NHKを見ていると東北ローカル番組で者レットワークショップの様子が放映されていた。研究室の学生君たちは全員バッチリ映ってました。その後ホテルで朝食をとっていると偶然、シャレットワークショップの中心人物である明大小林先生と出会い、いろいろと裏話を聞く。

8月27日 仙台


(タイ・チェンマイから)

仙台の東北学院大学で開催されている日本建築学会大会(東北)に参加。

午後は共創の都市計画というテーマで研究協議会が開催された。共創のまちづくりではなく、敢えて都市計画というキーワードを使っているところに、企画した先生方の思いを感じたように思う。夕刻から都市計画委員会の懇親会に参加。姥浦先生が幹事で切り盛りに奮闘。東北の地酒を集めたコーナーは大盛況。会場で早大有賀先生や三重大浅野先生、日大宇於崎先生らと懇談。その後姥浦先生の案内で二次会に。赤崎先生、瀬田先生、九大出口先生、佐賀大三島先生、工学院大遠藤先生、武庫川女子大水野先生らと仙台名物牛タンを堪能。さらに三次会。シャレットワークショップを企画運営されている弘前大北原先生、明大小林先生、関西大岡先生らのグループと合流。我々の研究室は毎年多くの学生が参加させてもらっているので恐縮しきり。本当はお手伝いもしないといけないのですが。今回は北原先生の多大なご尽力で盛り上がった様子。市大の学生の評価は「ムードメーカー」だそう。グループでの意見のまとめや雰囲気づくりとしては良いと言っていただいた。が、肝心の計画力、デザイン力に対するコメントは・・・。先生方本当にありがとうございました。

写真は、姥浦先生の「タン」と「牛タン」。

2009年8月26日水曜日

明日からロード

昨日から今日まで院試。大学に缶詰状態。実は本日から日本建築学会大会(東北)が仙台で始まっている。例年よりも学会が早まり、院試が遅くなった関係上、かちあってしまった。当然ながら大学業務優先となるが、明日の朝早くには仙台に向かわねばならない。仙台から帰阪後、次の日からタイへ海外出張。チェンマイを中心に景観の調査を実施する。怒濤のスケジュールではあるが、学会では全国の先生といろいろな話もできるし、研究懇談会やパネルディスカッションでは刺激的な議論もできる。海外出張もハードなスケジュールではあるが、見知らぬ土地での街並みや風景、人との出会いはなにものにも代え難い楽しみだ。今回は学生も何名か一緒に来るので、いろいろと話もできるだろう。実はタイ行きのチケットに間違いがあることが昨日深夜に発覚。最近の海外航空券はe-ticketで、送られてきたメールのリンクにある控えを印刷しておいて、それを航空会社のカウンターに出す仕組みになっている。これを昨日何気なく確認していたら、帰国便が全然違う便になっていた。なぜかバンコクからマニラに行く便になっている。本日あわてて旅行代理店に問い合わせて、無事訂正していただいた。メールで予約便の記録が残っていたのが幸いした。ペーパーレスは便利だが、こういう危なさもある。必ずチェックしておかないと。
東北での大会の都市計画委員会懇親会は姥浦先生が幹事役。私も近畿の大会では懇親会の幹事となったので苦労が良くわかる。再会が楽しみ。

2009年8月22日土曜日

水辺ピクニック 川舞台



8月22日。e-よこ会とNPOパブリックスタイル研究所が主催するリバーサイドピクニックに参加。東横堀川の本町橋暫定船着場横に設置された川舞台でピクニックしようという試み。
川舞台は堤防より高い位置に設置されているので、普段は水辺への眺めがなかなか得られない東横堀川でも、雰囲気は良好。空が見えればもっと良いですが。
水都大阪2009初日ということもあり、平松大阪市長、門川京都市長も駆けつけてくれました。ピクニック効果なのか、水辺効果なのか、両市長も参加者もなぜか顔がほころぶ。
東京ピクニッククラブを主宰する東大生産研の太田浩史さんの受け売りだが、1802年にロンドンで結成されたピクニック・クラブから200年余り。屋外の社交としてピクニックは発展を遂げてきた。もちろんそれ以前にもピクニックのような活動はあったし、日本でもお花見のように野山に出かけて宴を楽しむ文化もある。体感して思うのはピクニックの魔力。前述ピクニック・クラブの活動でも年頃の男女の出会いの場として利用されたようだが、初めて会った人でも、気軽に会話ができる打ち解けた雰囲気がピクニックにはある。
まだまだピクニックの企画は続いていくので、興味あるひとは是非ご参加ください。お待ちしています。

水都大阪2009 前夜祭




8月21日夜。水都大阪2009の前夜祭が開催された。8月22日からいよいよ開催される水都大阪2009のお披露目だ。関係者の方々が大変な準備をされてきた。52日間がはじまります。
参加されるボランティアは延べ4万人。単なるイベントとしてではなく、参加する楽しみがあります。

2009年8月17日月曜日

市町村合併

河内長野市と千早赤阪村の合併が断念されたというニュースが先週末新聞などで伝えられた。私は合併協議会の委員として合併協議の議論を聞いてきたが、とても難しい議論だった。公務のため、なかなか出席がかなわなかった心苦しさもある。
議事録は合併協議会のホームページで閲覧できる。(議事録の内容も発言そのものを忠実に記載されているので、どのような議論が行われてきたかも伝わってくると思う。)
今回のケースに限らず、市町村合併ではそれぞれの自治体の個性や特徴が異なる。地勢的条件も産業構造、人口構成なども違うので、合併する際には各施策をどのように見直していくかという擦り合わせが大変になる。マジメな自治体であるほど、それぞれ住民のための個性的な施策を展開している。そういう意味では河内長野市も千早赤阪村もマジメに住民のために取り組んでいる施策があったと思う。
また、合併を実施する大きな目的として自治体財政の厳しさがある。放漫経営などしていなくても、堅実に政策運営をしていても多くの地方自治体は厳しい財政状況にある。したがって、合併協議でも厳しい財政事情の制約のなかで議論を進めていかざるを得なくなる。
一般的には市町村合併の効果が明確に見えるには一定程度の時間が必要になってくる。20〜30年後には必ず効果が見えてくるが、それまでの期間は目に見えた効果を謳うことが難しいのも確かだ。
都市計画に関わる立場からいえば、成熟型社会を展望した時、コンパクトシティ化や住民の内発的なまちづくりの活性化、地域の歴史や文化、景観などを生かしたまちづくりなど、都市計画面においても基礎自治体の果たすべき役割は大きい。ますます大きくなっていると言ってもよいだろう。いずれにしても次代の都市像を構築してそれに向かう施策の展開は欠かせないように思う。
先行き不透明な時代。様々な不安が頭をよぎるなか、どの選択が最良であるかという判断を下すのはとても難しい。いまの状況を変えることは覚悟が必要にもなる。その不安を解決するには、それぞれについてひとつひとつ丁寧に議論を深めて解決していくしかない。しかし、現実の協議には時間的制約もある。
いずれにせよ、今という時代、次代の都市像を議論し続けることが今後とも欠かせないように思う。関係者の方々が丁寧に準備されてきたことは、今回の結果如何に関わらず今後のまちづくりに生かしていくことが重要だと思う。

2009年8月12日水曜日

学内事務ほか

今週はひたすら学内業務をこなしている。採点やら書類作成やら山のように溜まった仕事を処理。月末に控える海外出張や建築学会の出張の準備にも取りかかる。飛行機の予約をしたが、28日前までに予約しないと料金が跳ね上がることに気づくが、もう後の祭り。高い料金で予約する。都市計画学会の時には忘れないようにしよう。
某公益団体が来研。土地区画整理事業を実施する際に地区の価値の維持やまちの将来像の構築、魅力的なアーバンデザインの実現を目指して地元自治体や地権者を交えて研究会を実施したいとのこと。実際のアーバンデザインとともに、地区計画や景観計画、ガイドラインに加え、まちづくり組織の確立など幅広く仕掛けていきたいとのこと。言葉だけでなくマジメに考えて頂けるのであればご協力しますと回答。土地区画整理事業で今後土地の売却や、開発が進んでいくので、彼らも形式的にとりつくろうことを重視しているのではなさそうだ。行政の仕事だと、やることになっているので形式的に成果を求める場合も多いが、事業にからんでいる場合はそうもいかないだろう。その分関係者の利害もからむので、調整ははるかに難しいのだろうが。植栽の計画やペイブメント、公共施設に加えて地権者側敷地のデザインも呼応する仕組みが重要である旨伝える。いずれにしても、実際にできるまちを素材にしたプロジェクトなので、リアリティがある。
その後、某区の地元まちづくり活動に係るコンサルタントを選ぶプロポーザルの審査に参加。昨年度からのおつきあいで、地元町会はもとより、NPOや企業市民など幅広くまきこんで地域力を高める仕掛けを進めている。今年度はその活動の延長線上で某公共施設をターゲットに社会実験の実施を目指す。できればおそらく日本初ではないだろうか。ロケーション的にも、素材的にも興味深い。地元の人たちも熱心だし、行政もやる気がある(と聞いている)ので、条件さえ揃えば、よい成果が生まれそうだ。ただし、この仕事はコンサルタントの能力が大きく問われる。リサーチや報告書の作成にとどまらず、現場での活動や社会実験までこなせる実力が問われるように思う。各社のプレゼンを聞いて質疑応答。どの提案も会社の持ち味が良く出ていると思う。同じ仕様書なのにこれだけバリエーションある提案が出てくるというのはある意味面白い。皆熱心に取り組んでくれたと思う。
研究室に戻り、再び事務作業。ようやく目処がたってきた。お盆なので電話やメールも少なく仕事に集中できる。
タイ人の学生から研究生受け入れ打診のメールを受ける。タマサット大学出身でタイ政府給付奨学金を得ており、現在東京の日本語学校に通っているとのこと。タマサット大学はタイでは超有名校。理工系ではナンバーワンだろう。アーバンデザインの研究に取り組みたいとのこと。経歴からみて優秀そうだという印象はあるが、次年度の院試にはもう間に合わないし、研究室ではあまり積極的に研究生の受け入れは想定していない。もちろん本人次第なのだが、ときどき外国人研究生のなかで、ビザ取得を目的にして、研究室に来ないケースもあるからだ。慎重に検討しなければ。Karunaさんの影響なのだろうか?本人に聞いてみよう。

ローマ

塩野七生さんの著作が面白い。女史は「ローマ人の物語」や「海の都の物語」で知られる、イタリアに住むイタリア史を題材にした作品を多く執筆する作家だ。いま読んでいるのは「ローマから日本が見える」。塩野さんの文章は回りくどい表現が一切なく、シンプルな文章で軽快なテンポで進んでいくので読み易い。歴史ものは地勢条件、歴史的背景、政治体制などなど題材に潜む様々な事情を説明しなければ通じないことも多く、自ずと複雑な文章や前置きが長くなりがちだが、彼女はそれを実に簡潔に説明してくれる。難しく書くのも能力だが、これだけ複雑な事象を簡潔に記すのも能力だと思う。むしろこのほうがすごいかもしれない。
今年から都市史という講義を担当していて、ローマという都市を巡る背景を確認しておきたいので、彼女の著作を読みはじめたが、これが面白い。最初は知識をインプットするような斜め読みをしていたが、ついついはまりこんでしまった。
彼女はローマという都市国家がなぜ千年も持続したのかという点に焦点をあてて、ローマの特質をつぎつぎと指摘していく。特にアテネ、スパルタ、カルタゴといった周辺の列強国との体質の違いによって、ローマがなぜ生き延びたのかという理由をあげていく。これらの国々は一時的にはローマよりも繁栄するが、ローマほど長くその繁栄を維持することはできず、没落の末路を辿る。その違いはなんなのかという興味に沿ってストーリーが展開していく。
何度も危機を迎えながら、その度に改革を実施していく様子は日本のこれからを考えるうえで参考になると彼女は指摘する。歴史を学ぶ醍醐味はここにある。未来を構想するうえで、国が滅びた理由、国が栄えた理由を知っておくことは極めて重要だと思う。
彼女はローマ人は器用な人間ではないという。カエサルなどの英雄が強調さがちなのがローマの歴史だが、実はそこにローマの本質はないという。無名の多くの人による組織的かつ持続的な改革の姿勢がローマを歴史上まれに見る繁栄を築いたという。組織のローマである。
政治体制や税制、経済、産業から軍事、国土計画に至るまで縦横無尽に話が展開しつつも分かり易く、かつ現代社会の抱える問題にも通じながら語る文章は新鮮で飽きない。
こうしたローマの変遷を分かり易く理解すると、ローマの市街地空間の変容も事実として知っているというレベルから、なぜそうなったのかということまで思い浮かんでくるようになる面白さがある。都市史を学びたい人にはオススメの副読書だ。

2009年8月11日火曜日

大物

昨日、修士の学位記を受け取りに福井麗が来研。昨年9月に修了したのに、ほぼ1年後の受領である。大物だ・・・学務の方々もその大物ぶりに唖然・・・
学位記が見つからないというハプニングもあったが、結局見つかり一件落着。
その後、研究室で近況について雑談。仕事で地方を巡っている話や、仲間の近況などを聞かせてもらう。みなそれぞれの職場で頑張っているようだ。
卒業生の近況を聞かせてもらうのはとても楽しい。元気そうで安心した。
卒業生の横のつながりも深いようで、これまた嬉しい。たまには呼んでください。
近いうちに飲み会をすることを約束して分かれる。
その後、谷町、枚方へ。
3回生の藤林君が来研。コンペに関する相談。佐久間先生を交えていろいろと話す。前向きなことはよいことだ。どんどん頑張れ。
夜研究室に戻り事務作業。今週中には事務的な作業を終えなければ。

リサーチ 図書館に行こう

全般的に研究に関するリサーチの方法をよく理解していない学生が多い。以前、研究レビューの話を書いたが、今回はそれ以外のものとして、ライブラリー系のもの。
図書館をどう使うかということ。私の場合は博士論文で全国の名所風景を題材としたので、そのために各地の図書館に赴いて文献を調べる経験から、図書館の使い方をある程度マスターした。群書類従や縁起関連といった資料の意味は、現場の書庫で覚えた。現地に赴くまではほとんど知識もなかったし、そんな本があることも知らなかった。近年でも都市計画史に関する研究の場合、公立図書館や公文書館をよく利用する。勿論ネット上での検索も重要なのだが、「ネットで見当たらない」から、目当ての資料が「ない」わけではないし、目当ての資料がなくても思わぬ資料に出くわすこともある。だから図書館には必ず足を運ぶ必要がある。
市大の学情は相当の蔵書がある。あのなかで1日文献を探せば、それなりに情報が手に入るはずなのだが。

都市計画に関するリサーチをする場合、まず見ておく必要があるのが、都市計画年報、都市計画要覧あたりだが、このへんの資料の存在をよく理解していない学生も多い。都市計画に関わる規制、事業あたりを扱うのであれば、まずは見ておきたい。
住宅地図に関する相談もよくある。赤崎先生の長年の尽力で、多分大阪の大学の研究室としては我が研究室は大阪の住宅地図の所蔵は最大に近いと思うが、それでも全て揃っているわけでもない。「研究室にない」のは分かるが、研究室にないからといって、研究で扱わない理由にはならない。手間はかかってもどこかにその資料があれば、しっかりと探し当てるねちっこさが必要だ。新聞のバックナンバーも同様。
ググっていただくのも結構だが、「ググった結果見つからなかった」というのはなんの言い訳にもならないし、そもそも研究の方法として再現性がないのだ。今後ググったんですが見つかりませんでしたと私の前で言わないで。ググるなんてのは、誰でもできるのです。教員を辞書がわりに使うのもやめて。どうしても困った時には勿論アドバイスしますが、殆どの質問は以下のようなページで解決できるものです。


国立国会図書館のページではリサーチナビという検索アドバイスがある。



大阪府Web-OPAC横断検索(府下図書館蔵書の横断検索)

2009年8月7日金曜日

都市計画学会関西支部講演会

8月6日午後。都市計画学会関西支部講演会開催。水辺・アート・まちづくりからの都市再生 神戸と大阪というテーマ。神戸はデザイン都市というコンセプトで新たな都市像の構築を進め、神戸らしさの表現、洗練と継承・継続的活動としての神戸ビエンナーレを2007年度から実施中。大阪は水都大阪の再生をテーマに事業展開を進め、今年は水都大阪2009が開催される。都市計画には一見関係ないテーマのように見えるが、地域らしさ、都市らしさを表現するまちのデザインや都市のアイデンティティを象徴する場所のデザイン、土地利用を活発化していくという戦略が含まれている。神戸の場合は港、ウォーターフロントであり、大阪の場合は水辺である。現在の都市計画が抱える問題として、工業系用途での土地利用転換や高層マンション建設、中心市街地の空洞化などこれまで想定していなかった都市の変化がある。これらへの対応として都市計画に求められていることは多いが、それぞれの問題に対処療法的に対応しても、都市の未来像、将来像を明確に示すことにはつながらない。(かといって、こういう努力が不要というわけではない。)つまり、都市計画は、都市の安全性や健全性、機能性を担保するセイフティーネットとしての役割と同時に、夢のある都市の将来像を示す役割もある。狭い意味での都市計画に拘らずに、都市の未来を示す。神戸も大阪も変化する時代のうねりのなかで、その答えを摸索する試みとして、それぞれの活動は位置づけられるだろう。
担当者の方々の熱い思いが伝わる講演会であった。講演会終了後は関係者で懇親会。都市計画学会企画事業委員会の面々は学者だけではなく、行政、コンサルタントなども多く参加していただいている。特に行政の方々は各市の事情、問題意識に関する意見交換の場として活用していただいているように思う。特に近年は横並びの施策ではなく、各都市独自の取り組みも進んできており互いに興味があるようだ。学会という場所に実務者が参加する意味として、企画事業委員会を活性化させていくことは重要だと思う。


2009年8月6日木曜日

8月5日


午前中は都市史の試験。今年新設科目での初試験。学生は勝手もわからず緊張気味。午後から留学生Karunaとのゼミ。ニューラルネットワークを活用した都市景観、地域らしさの分析という彼女の研究テーマのケーススタディについて議論。まだまだクリアすべき課題も山積しているが、とりあえずは形になってきた。
夕刻、前期に実施した設計演習の講師陣(嘉名、横山先生)、非常勤講師の先生方(三谷幸司先生、忽那裕樹先生)、ジュアラーの方々(高岡伸一先生、徳尾野徹先生、佐久間康富先生)と課題地に設定した新世界で串カツ打ち上げ会。もちろんソースは二度づけ禁止で。横山先生は紅ショウガ、ホルモン、スジといったものが串カツで出てくることに驚愕。関西の異文化感を堪能してました。浦安、忽那諸島、東雲、ビルマニア関連などなど都市に関わる四方山話で盛り上がるが、後半はランドスケープ談義に。ピーター・ウォーカーからジャーディ、ハルプリン、ザイオンに至るまで、ランドスケープと都市、ランドスケープと建築といったテーマで熱いディスカッションになった。この面々での議論はいつも熱く、とても楽しい。演習でのエスキスでも熱心に指導していただける。感謝。
帰り際、忽那先生から大阪ピクニッククラブプロジェクトについて相談をもちかけられる。東京では東大の太田先生が展開している東京ピクニッククラブがあるが、それの大阪版を大阪商工会議所の支援を得て具体に実施することに。熱い学生をメンバーとしてスカウトして欲しいと頼まれる。学生にはまだ東京ピクニッククラブの話をしていないので、このあたりの紹介をして、是非興味のある人に参加してもらおう。


神戸市都市計画マスタープラン研究会

8月4日。神戸市が初めて策定する都市計画マスタープランの研究会に出席。次世代都市計画のあり方を展望しつつ、現状の都市計画が抱えるシビアな課題を克服するための意見交換の場だ。安田先生を座長に、三輪先生、森津先生、森山先生、檜谷先生、星野先生と神戸市の職員の方々と議論を深める。今回は星野先生から神戸市の郊外土地利用、農村計画についてのプレゼンと土地利用、交通計画に関する議論を展開。
変わりゆくまちに都市計画が後追いではなく、かつ後ろ向きな議論だけではなく、いかに先導的に前向きに次代の都市像を示せるかという点が研究会共通の思いのように感じる。方向性はほぼ固まってきたように思うが、あとは戦略、戦術の部分。実はここからが正念場でもある。
神戸市に行くたびに感じることは、若手職員が非常に元気なこと。若手からベテランまでフラットな雰囲気で熱心に議論しているし、みなそれぞれ神戸市の将来に思いを持っているように思う。元気が出る組織マネジメントということの重要性も痛感。まずは皆が考えをもって議論する場が大事だと再認識。

2009年8月4日火曜日

格闘

ノートパソコンの調子が悪い。大事があってはいけないのでメンテナンスに格闘。
私は手帳を持ち歩かずにスケジュール管理などをすべてPCで完結させているのでPCのトラブルは死活問題になる。
Appleのmobile meというサービスとG-mailを併用して使っている。mobile meはスケジュールをネット上で管理でき、どのPCやiPodから(ネットカフェなどのPCも)でも参照できるし、更新もできる。これだと、自宅からでも研究室でも、外出先でも自分の予定が確認できる。携帯電話とiPodともシンクロしているので、予定の入力さえしておけばなんとかなる。
とはいいながら、それはそれで不便なこともあるので、小さいスケッチブックは持ち歩き、それを備忘録として使っている。手帳は置き忘れれば全く意味がないが、これだと忘れ物、予定忘れが多いのでなんとかそれを回避すべく努力はしている。
どのメールアドレスもIMAPを経由して使っているので、どのパソコンでも最新の閲覧状況が反映される。大学はメールアドレスを外部に公開しているので迷惑メールがやたらと多い。これをはじくためにもG-mailの強力なフィルタ機能は重宝している。それでもさすがに一日100通を超えるメールにはウンザリもする。メールのチェック・送返信と他の仕事との切り換えが難しい。気がつくとすぐ3時間ぐらい経ってしまう。
メールのデータが軽く4GBを超えているのが、いろいろとトラブルを起こしている原因だろうとは思うが、なかなか整理する時間がない。
とはいえ、周りにはもっと忙しい人がもっと効率的に仕事をしている。もっと効率的な仕事の仕方を開発したい。

2009年7月31日金曜日

建築基準法84条

都市計画の専門家でも普段はあまり気にしない条文だが、阪神・淡路大震災の際には、この条文が適用され、物議をかもした。84条の1は次の通り。「特定行政庁は、市街地に災害のあつた場合において都市計画又は土地区画整理法 による土地区画整理事業のため必要があると認めるときは、区域を指定し、災害が発生した日から一月以内の期間を限り、その区域内における建築物の建築を制限し、又は禁止することができる。」84条の2は次の通り。「特定行政庁は、更に一月を超えない範囲内において前項の期間を延長することができる。」
災害地において、都市計画を円滑に進めるために定められている条文だが、阪神・淡路大震災の際に問題となったのはこの期間の短さ。84条の1と2を適用しても最大2ヶ月しか建築物の制限はできない。そうすると、密集市街地など災害時に甚大な被害が想定される地区では、災害後2ヶ月以内に都市計画案をまとめてしまう必要がある。当然きめ細かな計画立案には不十分だ。一般に都市計画の立案には膨大な作業と費用が必要となる。したがって現実には、ある都市のすべての地域での面的整備を伴う都市計画案が立案されることはあまりない。つまり、災害以前から都市計画が予定されている地区以外では復興のための都市計画を丁寧につくるのは不可能に近い。
やるといったことはかならずやり、その責任を全うするというのが行政の良心だと考えれば、そうかもしれないが、逆にいえばやると言っていないことには責任を持たないことになる。
昨今、財政難の状況で都市計画において市街地の将来像を明確に示すことに臆病な自治体が多くなった。財源の担保も地元の合意形成も覚束ないなかで、無責任なことは言えないという責任感はわかる。都市計画とは私権の制限も可能な強大な権力としての顔をもつ。だからその行使には慎重であるべきだ。しかし、いまのままの市街地を放置しておけば、災害時に甚大な被害が生じることが明らかな場合、なにもしないことは都市計画の不作為とはいえないか?
密集市街地のような20世紀の負の遺産の解消という問題に対して都市計画がしておくべきことはまだまだあるように思う。そのためには住民まちづくりをつねに活性化させておくことも重要だ。財源のあてはなくとも、市街地の将来像を描くことは不断の作業として継続する必要がある。財源が豊かでない時代だからこそ、将来に備えて都市計画を熟成させる好機と考え、市街地の将来像をじっくりと考えてみる必要があるのではないか。何かが起こってからどうするかももちろん重要だが、何かが起こった時のために備えておくことはもっと重要であると思うのだ。

2009年7月25日土曜日

学会研究発表会懇親会

研究発表会終了後、第一ビルB2の百番で懇親会。二日連続同じ店で飲み。阪大柴田先生、人博山崎先生、神戸大栗山先生らと飲む。訳のわからないくどき文句で、栗山先生を2010年に奈良で開催される国際シンポジウムの実行委員に引き込むことに成功。ただし、奈良の名物をごちそうすることに。
山崎氏、柴田氏とWASEDAイズム話で盛り上がる。W大ではゼミのレジュメは最短2秒とのこと。教授が一瞥した瞬間に相手を引き込めるかどうかが勝負。面白そうならゼミは続くし、面白くないならそこで終わり。だからつくるほうは命をかける。そういう意味で国公立は学生にその緊張感がないと痛感。その後、山崎先生の後輩でもあるS先生にも話は及ぶが、中身は秘密です。S先生。いい先輩を持ちました。
帰宅途中難波駅で、高校時代の同級生夫妻に再会。子供2人と一緒に天神祭に行っていたそう。近況話で盛り上がる。



日本都市計画学会関西支部 研究発表会

本日、日本都市計画学会関西支部研究発表会を大阪市立大学梅田サテライトのホールで開催。
私は研究発表委員会の委員として事務方として参加。
この研究発表会は学術研究の発表はもとより、調査報告、フィールドワークの発表、まちづくりの現場報告など実践的な取り組みに対する発表もしてもよいことになっている。したがって、コンサルタントや実務者、地元でまちづくりに取り組む方々にも発表してもらえる。一つの部屋で朝から夕方まで発表会を実施するので一体感があってよい。研究内容もバリエーションがあっていろいろなのだが、普通の学会の発表・講演と比較してこじんまりとしていて雰囲気がよい気がする。
委員長が府大下村先生であることもあって府大の学生は多い。学部まで研究室にいた曽根さんと談笑。学会への投稿をするとのこと。ホンマか?と思いつつ、ゼミをすることに。福井聡が就職できるのか心配していた。彼は公務員志望なので就職活動はこれからがヤマ場。曽根が応援していたぞと伝えなければ。
市大の学生はゼロか・・・

COU 高度地区の可能性

24日夜、市大梅田サテライトにて今年度第2回COU(大阪市立大学都市計画研究会)を開催。テーマは高度地区の可能性。近年各地で導入が進む絶対高さ制限型高度地区の取り組みについて講演と意見交換の開催。西宮市で長く都市計画に取り組まれた猿渡さんと、北摂での高度地区導入にかかる検討に関わっておられるコンサルタント、ジャスの島田さんが発表。西宮市ではすごい開発圧のなかで、市街地をどのようにコントロールしていくかという問題意識がある。一方箕面は良好な住宅環境をどう保全するかという視点、かたや茨木市は工業系用途や駅前商業地などにも導入していて、高度地区導入の目的が激変緩和、アーバンデザインの手がかりとして位置づけられている。 もともと関西の都市では新都市計画法導入時に定められた用途地域や容積率が甘いという意見もあった。確かに用途地域でいえば、住宅系用途のなかでも2低専が多いが、この2低専というのは中途半端だ。戸建しか建てられないわけではないし、敷地さえ大きければそこそこ大きなマンションもたってしまう。が、現実には戸建が多いという状況もある。こうした都市計画の運用に関する矛盾のなかで、高度地区に対する導入への関心が深まっているといえるだろう。 一方、高度地区制限は業者イジメである割には、アーバンデザイン(=よい景観をつくる)までしているわけではなく、大雑把すぎるという指摘もあった。このあたりは見解が分かれるところでもあるが、都市計画とは目指すべき市街地像を提示するべきであるという点においては共感がある。 一方で地区計画への期待というのもあるわけであるが、これもくせ者で、地域エゴがむき出しになり、排他的なルールの導入もあったり、地区計画を導入したからといって、市街地の将来像が定められていないのも確かである。 やや地味なテーマであまり関心がないのではないかと心配していたが、満席。これからの都市計画がどうあるべきかという入り口としてはよい素材であったように思う。

2009年7月24日金曜日

全体ゼミ一旦修了とコメント・・・愚痴?

本日研究室の全体ゼミ修了。あとは秋の全体ゼミまで小休止。論文生は個別に研究計画、作業を進めることになる。学術論文にはいくつかの約束がある。①位置づけ、②問題意識の適切さ、③概念、方法が新しいか、適切か④論旨・論拠は妥当か、信頼性、論証の適切性、⑤基礎的な問題としての論文の独立性、引用等の適切さ、図・表の表現、⑥再現性などがある。修論生は一度論文を書いているので、ある程度のことは理解しているとしても、①③④についてはピンときていない学生が多い。冷静に考えれば、学生(教員も同じ)が1年程度かけて取り組む研究成果というのはたかが知れている。また、それぞれの学生の関心は、ほぼ同じ教育を受けてきた人にとっては、共感をもつのが普通である。そして、頭の構造も人間である限りほぼ同じで、思考のメカニズムも変わらないとすれば、すでに取り組まれている様々な研究をできるだけ沢山読み込んで、これらとの相対化をはかって、本当に自分のしたいことを絞り込めるかがポイントになる。研究の方法を組立てるうえでも、他人の採った方法をみておくことは参考になるはずだ。研究の位置づけというのは、そういうことをするための作業としてとても重要なのだが、自分の考えに沿った研究はないと安易に結論づけるレビューが多い。その言い振りには、まるで他人はバカといわんばかりの雰囲気がただよう。
確かに論文のオリジナリティという意味で、他にない独創性は重要だ。しかし、他にないということをもって、有用性があるとはいえない。そんな研究は現実的にできないから、あるいはそんな研究には全く意味がないから、他の人が取り組んでいない可能性は十分にある。私が学生時代に恩師から教わったことのなかで、印象深いコトバの一つに「ないということを証明するのはとても難しい」というのがある。確かに「ある」ことを証明するのは簡単だ。一つ事例をあげればよい。しかし、ないことを証明するのは難しい。宇宙に人間以外の生命体はまだ見つかってはいないが、「ない」と証明することが出来る人はいるのだろうか?
同じ問題意識を持ち合わせている人が世の中には必ずいるはずである。(アインシュタインのような天才は別かもしれないが。)
しかし、最近の学生は文章を読めない(読まない)人も多い。だから、他人の意見を吸収するのが苦手だ。他人の考えを理解できないと自己の相対化、客観視ができず、自分の世界のおとぎ話を語るしかないのである。
形式的にレビューはするし、研究の方法も書いてある。しかし、「仏つくって魂入れず」で、あくまで体裁だけの話が多い。考えるチカラを鍛える必要があるのだ。
学生のペーパーでは②はまだなんとなくは分かるが、⑤ができていないというのは何故なのか?何度も同じことを言ってもできない人もいる。
また、研究の方法が具体的ではないのも大いに気になる。自分がやると宣言したことが、一体どれぐらいの時間、日数でできるのかという確証もないということがおかしいとは思わないのだろうか?やりたい事が大きいのは結構ではあるが、論証というプロセスを経て研究を成立させるには、時間の制約、作業量の制約なども十分勘案する必要がある。人間はいくら気合い十分でも1日500キロを走ることは不可能なのだ。平気で1万キロを1日で走りますと宣言してくれるのである。
近年、学生のゼミでの議論がとても心配。互いにディスカッションせよとしきりに言うのは、他人の考えを理解する(相対化、客観視)ことにつながるし、言われたほうも自分の考えを他人にどう伝えるかを自然と考えるようになるからだ。タコツボに入り込んで行き詰まったときにも他の人の意見は有用である。発想の転換ができることもある。みな、自分のなかの世界を大切にしすぎていて、その聖域を荒らして欲しくないという自己愛型不可侵思想が垣間見える。これでは研究の進歩はおぼつかないし、それ以上に社会で生活していけない。社会人になれば、その大半は他人との協同作業なのだ。1人でできることなどたかが知れている。
がんばってくれている学生もいるが、それでもなお発表者の面子や気分を害していないかを過剰に心配し、腫れ物に触るような扱いだ。「そんな研究はつまらん」「問題意識は大いに共感できるが、方法がむちゃくちゃ」「こうしたほうがいいのでは?」といった素朴かつ正直な意見のやり取りができる仲間がとても大切だと思うのだが。
いずれにしても、あと1ヶ月ちょっとで目処を立てなければならない。巻き返しに期待。若者よ。がんばれ。言っている意味が伝わっているのか心配・・・

2009年7月23日木曜日

芦屋市全域が景観地区に


芦屋市へ。7月から芦屋市は市域全域を景観地区に。もともと景観には熱心だったが、今回市域全域を景観地区とすることで、すべての建築物などを「認定」することになる。景観法によって生まれた都市計画の地域地区のひとつ、景観地区はすでにいくつかの都市で実績があるが、市域全域を景観地区にしたのは全国初だと思う。景観アドバイザーとして芦屋市の景観行政の熱心さは理解していたが、さらによりよい景観づくりにむけた仕組みがととのったと思う。ただし、制度運用ははじまったばかり。これからが勝負です。しかし、つくづく景観形成は自治体の規模ではないと痛感。よい景観を持っているまちが評価される時代はすぐそこに来ている。他の自治体の発奮に期待。

御舟かもめ

川の駅「はちけんや」披露パーティで中野さん、吉崎さん夫妻と談笑。お二人の水辺好きは折り紙つきだが、なんと来週から「御舟かもめ」というクルーズ船の運航をはじめるそう。大阪の水辺をゆっくり楽しめる家のような舟を提供したいとのこと。宣伝してねとのことなのでブログにも掲載します。いやはや、吉崎さんの行動力には脱帽。ぜひ乗りたいですね。昼寝とかいいなあ。

川の駅「はちけんや」


本日記念式典。天満橋に水辺の新たな交流拠点がオープン。橋本知事、平松市長らによるセレモニーもあり華やかな雰囲気。計画段階から関係者の苦労を垣間みてきたので、完成したことは感慨深い。関係者の方々とごあいさつ。みな笑顔がついほころぶ。みなさん、ごくろうさまでした。高原さん設計によるこの建築は対岸の風景も映える。景観のことを丹念に考えてくれている。水辺とまちの関係を再構築するうえで、建築がなにをすべきか、浜側がなにをすべきかを考えさせてくれる好例。新しい名所になればいい。

船場センタービル


昨日、船場げんきの会日比さん、谷口さん、アートカフェ高岡さんと学生6人で船場センタービル(大阪市開発公社)へ。秋の船場まつり、アートカフェイベントに向けての船場センタービルの貴重な記録や写真などを見せて頂くことに。当時の雰囲気がよくわかる写真が一杯あって収穫大。後日借用してデータ化することに。増井君の論文にも使えそうだ。
その後、船場センタービルのバックツアーに。高速道路の橋脚でもある船場センタービルの屋上?にあがらせていただく。学生たちも滅多にないシーンに興奮気味。船場センタービルについてはいろいろな意見があるが、高度経済成長と過密都市改造の象徴であることは確か。評価はともかくとして、この事業が何であったのか、しっかりと記録しておく必要があると感じた。

モトスカーフィ


芝川さんからの案内で、名村造船所跡からモトスカーフィお披露目航海で八軒家浜へ。ヴェネチアで運航している水上タクシーを購入して、水都大阪でのクルージングに活用する予定だそう。雰囲気抜群。モトスカーフィで大阪の水辺を走ると工場の景観も前衛的なテクノスケイプに見えてきます。

2009年7月22日水曜日

緑の風

昨日、大阪府の面々が来研。大阪府の構想として打ち出している緑の風をどう実現するかというディスカッション。大阪市では風の道を主要施策に取り入れ、ヒートアイランド現象の緩和に向けた試行錯誤をしているが、大阪府はより広域に、都市圏レベルでの快適環境を実現する構想をめざしているようである。赤崎先生、鍋島先生、姥浦先生らと取り組んだ科研費研究の環境都市施設についてもご存知で、いろいろと質問を受ける。コンパクトシティや成熟型社会の都市構造など、幅広く問題意識を持っているようで、このあたりの考え方は大いに共感。ただし、都市の環境問題は一発の施策で簡単に解決するような性格ではないこと、現象を把握するために地道な調査が欠かせないことなども説明する。財政が厳しい折に調査予算も十分ではない一方で、効果の高い施策が求められるというジレンマを垣間みる。とはいえ、問題意識は共感するので、今後とも応援していきたい。環境都市については施策レベルに取り込もうという動きが増えてきた。我々もそこでタイムリーに提案できる準備が必要だと痛感するが、この手の提案はタテワリでは効果がない。それができるかという自治体の手腕も問われている。

ゼミ旅行

今年のゼミ旅行は金沢・富山方面(らしい)。
しかし、今年の都市計画学会は新潟県長岡市だし、来年の建築学会の大会はなんと「富山」であることが判明。カブりまくりだ。
なんとか行き先を変更してくれないかなあ・・・と思いつつも、一旦決まったことなので言い出しにくい。とかいいながら、ブログにアップしてしまう。学生は気づくかな?
金沢はシンクタンク研究員時代に足繁く通った土地。金沢の裏町の景観デザインを良くするためにどんなことができるのかという研究会を2年ほどやっていた。ちょうど金沢市はこまちなみの保全というテーマに取り組んでいて、非常に熱心に参加してくれたことを思い出す。小橋や用水、路地など金沢の裏町らしさを、オモテの景観ほどお金をかけずにどう充実させることができるかという非常に面白いテーマだった。研究提案を実現してくれた街並みが柿木畠というところにあるので、どうなっているかみてみたい。

タイ・チェンマイ

タイへの海外出張準備中。9月に博士課程のKarunaさんの研究テーマである、歴史的街並みのコンテクストに関する調査として、チェンマイなど4都市での調査を予定。
タイでは経済発展とともに都市の近代化が進行中で、歴史的な街並みがどんどん失われはじめているようだ。しかし、世界遺産など一部の地域を除いては景観をコントロールする方策が殆ど講じられていないため、街並みの破壊が著しい。Karunaさんはこうした問題意識を持って来日し、京都など日本の歴史的街並みの保全方策の調査とともに、チェンマイでの歴史的街並のファサードを建物ごとにエレメント収集し、チェンマイの歴史・文化に即したデザインコントロールのあり方を研究している。一言でチェンマイらしさ、地域らしさといっても複雑で、バンコク地方の様式の流入や、コロニアルスタイルの流入、現代的建築構法や材料によるバリエーション化などが進んでいて、なにが、チェンマイスタイルなのかを判別することが非常に困難な状況にある。寺院など特定の歴史的建築物を相手にするのではなく、彼女の関心は、生活景としての街並みにある。したがって、様々な様式の流入や亜流の発生も許容しつつも、チェンマイスタイルを確立できないか?そんな問題意識をもって取り組んでいる。さすがチェンマイ大学の先生をしているだけあって超優秀。
研究室学生も誘うが音沙汰なし。やはり資金的につらいか?勉強になると思うのだが・・・

2009年7月18日土曜日

昨日より東京


昨日より東京で会議。17日は朝5時に起床し、10時から会議、夜7時まで缶詰。前日も最終電車で帰宅したので2時間ほどしか眠れなかった。
会議終了後、姥浦先生、小篠先生、樋口先生、坂井先生、秋田先生らと大岡山で飲み会。途中で中井先生も合流。関西地方では見かけない「ホッピー」を堪能する。
北海道から九州まで全国の先生が集まると話題がつきず、盛り上がる。
終電ギリギリで大井町のホテルへ。偶然姥浦先生と同じホテルを予約。私はシングルを予約。彼はダブルを予約。「常に備えておく」のがモットーだそう。結局一人で部屋に消えていきました。
18日も朝から会議。今日の夜には大阪に戻れるか。

2009年7月16日木曜日

高架空間


数週間前の都市デザイン演習での一コマ。
高架空間をどうするか。大阪にとって切実な課題。

2009年7月15日水曜日

高野山


7/13に和歌山県景観審議会の現地視察があり、高野山方面に行ってきました。
高野町は市域全域を景観計画区域に、高野山周辺を景観地区に指定して、景観形成に努めています。詳細な基準が定められており、一軒ずつ丁寧に修景されています。
景観形成の取り組みは自治体の大小ではなく、やる気が重要であると痛感しました。
高野山は何度も訪れたことがありますが、久々に行ってみて、とても美しくなっていました。感激です。
その後、和歌山市に戻り、景観審議会メンバーと仁坂知事、和歌山県職員らで意見交換会。知事の景観に対する熱い思いが伝わってくる。その後、和歌山市内に繰り出し、飲み会に。ホテルに戻ってきた後も西村先生、小浦先生としばし歓談。関西の都市計画を取り巻く状況や、景観に関わる課題などについて議論。酔っぱらって午前2時頃就寝。

いよいよ

ホームページがおおよそ出来上がってきました。あとはサイトへのアップロード作業ができればOK。

ホームページリニューアル作業中

学生に依頼していたホームページのリニュアール作業が1年以上滞っているので、仕方なく自分でホームページの作成に取りかかっている。ようやくかたちになってきた。もうすぐ公開できるだろう。