2009年7月31日金曜日

建築基準法84条

都市計画の専門家でも普段はあまり気にしない条文だが、阪神・淡路大震災の際には、この条文が適用され、物議をかもした。84条の1は次の通り。「特定行政庁は、市街地に災害のあつた場合において都市計画又は土地区画整理法 による土地区画整理事業のため必要があると認めるときは、区域を指定し、災害が発生した日から一月以内の期間を限り、その区域内における建築物の建築を制限し、又は禁止することができる。」84条の2は次の通り。「特定行政庁は、更に一月を超えない範囲内において前項の期間を延長することができる。」
災害地において、都市計画を円滑に進めるために定められている条文だが、阪神・淡路大震災の際に問題となったのはこの期間の短さ。84条の1と2を適用しても最大2ヶ月しか建築物の制限はできない。そうすると、密集市街地など災害時に甚大な被害が想定される地区では、災害後2ヶ月以内に都市計画案をまとめてしまう必要がある。当然きめ細かな計画立案には不十分だ。一般に都市計画の立案には膨大な作業と費用が必要となる。したがって現実には、ある都市のすべての地域での面的整備を伴う都市計画案が立案されることはあまりない。つまり、災害以前から都市計画が予定されている地区以外では復興のための都市計画を丁寧につくるのは不可能に近い。
やるといったことはかならずやり、その責任を全うするというのが行政の良心だと考えれば、そうかもしれないが、逆にいえばやると言っていないことには責任を持たないことになる。
昨今、財政難の状況で都市計画において市街地の将来像を明確に示すことに臆病な自治体が多くなった。財源の担保も地元の合意形成も覚束ないなかで、無責任なことは言えないという責任感はわかる。都市計画とは私権の制限も可能な強大な権力としての顔をもつ。だからその行使には慎重であるべきだ。しかし、いまのままの市街地を放置しておけば、災害時に甚大な被害が生じることが明らかな場合、なにもしないことは都市計画の不作為とはいえないか?
密集市街地のような20世紀の負の遺産の解消という問題に対して都市計画がしておくべきことはまだまだあるように思う。そのためには住民まちづくりをつねに活性化させておくことも重要だ。財源のあてはなくとも、市街地の将来像を描くことは不断の作業として継続する必要がある。財源が豊かでない時代だからこそ、将来に備えて都市計画を熟成させる好機と考え、市街地の将来像をじっくりと考えてみる必要があるのではないか。何かが起こってからどうするかももちろん重要だが、何かが起こった時のために備えておくことはもっと重要であると思うのだ。

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