2010年4月27日火曜日

食ネタ連発



先週23日夜に赤﨑先生、佐久間先生とともに、ミナミへ。赤﨑先生お得意のミナミフルコース。たこ梅(関東煮)→今井(うどん)※ただし、満腹のため今回はパス→丸福(コーヒー)。やはりたこ梅はおいしい。丸福は北浜のお店しか行ったことがなかったが、ミナミでも味は変わらず。ディープな味わい。コーヒーに角砂糖というのも最近は見かけなくなった。
最後の写真は日曜日に家でつくった「扁炉(ピェンロー)鍋」。山崎さんがtwitterでつぶやいていたのを見て、無性に食べたくなったのでやってみた。大人には好評だったが、子どもには不評だった。
山崎さんのtwitterではこの鍋を事務所でやっているという情報が流れ、次々と人が集まってきた様がtwitter上で展開。このツールの面白いところかも。わざわざ電話して誘うというノリではなくても、行きたい人が人が集まる。そんな実況ライブを眺めつつ、仕事をしていたので、食べたくなったのでした。


コンペ:ビルヂング2030

大阪ビルディング協会が創立80周年記念コンペを開催します。
テーマは「ビルヂング2030」
「ヂ」がいい。解題も趣旨文に書いてある。
チラシがカッコイイ。
20年後の都市の姿、ビルの姿、環境の姿。思い描いてください。
フリーハンドの部分が多いので存分に提案できます。是非!

2010年4月22日木曜日

本日ゼミのコメント

全員に当てはまるかどうかは分かりませんが、本日ゼミのコメント。

・研究の対象となる空間、場所は具体的に示すこと。ゼミで他者に伝わるように地図、写真などを用いてほしい。特定の空間を対象としないような研究だって、他者の論考などを具体的に示すことは可能なはず。調べていないこと、知らないことを研究の対象にはできない。
・具体的に場所が示せないような研究着手の段階でも、それに近い事例や情景を表現することは可能なはず。具体的に勝負すること。空中戦、コトバ遊びで時間を浪費しても意味がない。できるだけリアルに。
・どこの、何が面白くて、何が分かれば、どういう結果がえられるか?というような手順を示して欲しい。どうやって調べるのか、どうすれば分かるのかという方法論がなければ、結局その研究は成立しない。
・他の人がやっていないことが、研究の意義にはならない。しょーもないから誰もやっていない可能性は大いにあるのだ。
・その為には何をする必要があるのか。次のゼミでは何が出てくるのか?そのアテはあるのか?という具体性をもって研究を進めること。
・参考文献などの書き方は学会論文の執筆要領に倣うこと。このような基本的な事項をゼミでいちいち指示していると時間がもったいない。いずれやるので・・・というスタンスはだめ。この手のものはあとあとに残すと大変。面倒でも毎回毎回しっかりやる。

・間違っていてもよい。他の人の意見で方向性を変えてもよい。ゼミとは指摘を受けて軌道修正したり、自分の考えを整理するためにやるもの。ノーコメントのゼミは最高ではなくて最悪と思うべし。失敗を恐れず勇気をもって、他人に自分の思いを伝えるべく努力すること。その思いは必ず伝わるはず。

説教オヤジのようですが、自分に言い聞かせているところも大。

blogとtwitter

blogとtwitterってのは併用すると良いらしい。が、twitterしてるとblogにも書き込んだような錯覚を起こしてしまい、ついつい更新が遅れがちになる。blogにtwitterを埋め込んでる人もちらほら見かける。あれ、どうするのかなあ。
とりあえず書き込みはするのだが、双方の使いこなしはまだまだの域。

それはそうと、論文の構想がどんどん大きくなってゆく。調べれば調べるほど勝手に面白くなってしまった。はやくまとめたいのだが、GWまで時間がなさそう。細切れの時間ではフレームワークまで至らない。GWに気合い入れて進めてしまうつもり。

そんなこんなしていると、某氏から檄メールが飛来してきて、この2年ぐらい忘れていた記憶が甦ってきた。50年後に大阪という大都市は在るのか?関西という大都市圏は生き残っているのか?という課題だ。そのテーマに自分はどう関われるのか。なにを提案できるのか。

間近に迫る深刻な問題は多い。だから将来像のデザインはする余裕がない。それがズルズルと20年続いてきたのがいまの関西であり、大阪のように思う。もちろん何もしてこなかったわけではないが、思考停止を続けてきたといわれてもしようがないのも確か。

これ以上どこに仕事を増やす余地があるねん?という気もするが、大阪で都市計画・都市デザインの学者をやっている以上、やはり避けては通れない。読んでくれている人には訳が分からないような書き方で申し訳ないが、アイデアがまとまれば、また披露させてもらいたい。
こうしてまた一つ、仕事が増えていく。

ゼミの研究グループはどうなっただろうか?本日はM2の修論テーマゼミ新年度1回目。その線で行けそうなテーマから、よくわからないテーマまで様々なのも例年どおりか。

研究で重要なのは、自分がその道の最先端者であることを自覚すること。パイオニアとなる気概を持つこと。同じ方向を進んでいる人はいるが、自分と全く同じベクトルは研究である以上存在しない。つまり、自分自身がある方向に動く物体であることを理解できるかどうか。自分は静止していて、他のものを観察しているだけでは単なる評論であって研究ではない。自分は何に興味をもち、何をするのか。それが具体的に出てこなければ、まさに絵に描いた餅。いかにいいことを言っていても、正しいことを言っていても、それだけでは研究は前に進まない。自分のアクションのみによって研究は前に進む。眼の前にレールはない。だからイバラの道に違いない。だからこそ、自分の興味あるテーマが必要。

来週は4年生諸君のゼミ。まだ研究とは何かが良くわからないだろうが、自分の感性に忠実にあってほしいし、自分と同じ構造の脳をもって似たようなことを考えた人の成果(=既往研究)を何度も読み返しつつ、自分の記憶、経験を総動員して、解き明かしたいことを考えて欲しい。そして、明日まず自分はなにをするべきか考えて欲しい。その延長線上に満足のいく研究成果が待っている。次どうすればいいか分からないのに、1年後に素晴らしい成果があるはずがない。間違った方向であっても、そのことに気づけば戻ればいい。


2010年4月16日金曜日

定例ゼミ開始

4月15日。研究室の定例ゼミ開始。4回生が8人もいるので大所帯に。まずは自己紹介から。景観に興味ある学生が多そう。今年からゼミのスタイルを変更して、研究グループを組成してもらい、全体ゼミを開催する方法に変更。目的は研究活動の更なる活性化と、研究室での議論を盛り上げるため。人数が多くなるとどうしても全体ゼミで学生相互の議論が深まる十分な時間が確保できない。最近の学生は遠慮がちで、他の人の意見に対して厳しい指摘をしない傾向にある。気遣っているのか、興味がないのかは分からないが、色々な人との対話や議論のなかでもまれて初めて研究の方向性も定まり、質も高まる。独創性が不要というつもりはないが、研究の大前提は自分の考えや興味を社会に伝えることにある。知的好奇心だけが問題なのであれば、自分だけで妄想していても良い。他人に伝えるために、研究はある。とすれば、他人にその意味や意義を理解してもらえないと研究は成立しない。だから、他人の意見に耳を傾けることは重要だ。もちろん見解の相違や意見の違いはあってよい。そこを活性化することが研究の質を高めるポイント。
今年も研究に、コンペに、演習に、フィールドワークに、飲み会に、忙しく楽しい研究室活動が始まった。佐久間先生と二人で頑張ります。
研究グループの組成は学生諸君に任せるが、研究テーマでチームを組成することに拘らないことも伝えた。テーマは違っても仲間がいることが大事だと思うのだ。
午後はsupagtraさんのレクチャー第一弾。今回は導入編ということでバンコクという都市の成り立ちのアウトラインを簡単に紹介していただいた。supagtraさんはシラパコーン大学の先生。タイの国立芸術大学なので、伝統的な都市空間、ヴァナキュラーな建築、景観に関心をもっている。アジアの都市計画、都市デザインの研究者の多くは、合理的な都市計画技術に関心をもつ人が多いなか、文化性に関心のある研究者だ。バンコクでもキャンパスを見学させてもらったが、タイの伝統建築の構法、意匠、模型作成などを学生に徹底的に指導している。さすが芸大。それをベースにしながら、グロバリゼーションとも向き合おうとしている。次回はタイの建築とランドスケープ、最終回は水辺のアーバンデザイン。分かり易く説明してくれる。楽しみだ。
夜には学会の投稿論文のゼミを2件。〆切間近なので、最終チェック。どうなるか。それぞれ面白い論文に仕上がったと思うのだが・・・。
ゼミ終了後Mac Proのハードディスクが挙動不振に。本来あるべきファイルがフォルダのなかにない。ディスクユーティリティでチェックすると、HDDにエラーが多数。無事修復でき、事なきをえたが、このPCももうすぐ3年が経つ。HDDはそろそろ交換しておくほうが無難かもしれない。酷使しているからなあ。HDDの交換を近いうちにしよう。

2010年4月14日水曜日

演習始動、環境都市

本日都市デザイン演習が始動。今年は受講生が多いので7チームに。例年この演習は学生も戸惑うし、教員も手探り。予定調和、収束先が見えない実験的企画。課題書もひとひねり、ふたひねりの内容になっている。毎年チャレンジばっかりしている。が、刺激的な演習だと思う。今年もどんな成果が出てくるか楽しみ。演習は教員も楽しめる、学生も楽しめることが何より大切だと思う。

昨日、長い学科会議終了後、貫上先生から大阪市内某場所での環境都市構想に関する相談をうける。ヒートアイランド、都市リサイクル、エネルギー・熱の有効利用、団地再生など、工学部の各分野の専門性を集めてあるフィールドでの環境都市の提案をしようという意欲的な試みに参加しないかという相談だ。すごく面白いアイデアだ。
まだ、具体的なプロジェクトとしてスキームが確定しているわけではないが、やはりフィールドを想定しながらやると技術各論を羅列する環境技術ショールームではなく、まちの提案にもつながるし、そこにはリアリティも出てくる。なにより理屈で良い都市だけではなく、魅力的な形としての都市を描き出す必要も出てくる。協力の仕方はまだ分からないが、是非一緒にやりましょうと約束。環境都市の姿、かたちを具体的に提案することも我々の重要な仕事だと思う。今後に期待。

2010年4月13日火曜日

学内の仕事

先週から授業がスタートして、年度末とは別の慌ただしさが続く。明日からは設計演習も始まる。課題書の最終チェックをしなければ。学内の仕事も山積している。あまり得意ではないが、しょうがない。
研究にじっくり取り組みたいが、時間が十分に確保できないはがゆさを感じる。面白いところまで出来てきているように思うのだが。今日も少しは前進させよう。歴史研究に取り組んでいる。膨大な文書を一通り読んだが、今度はそれを整理していく作業だ。ノイズを消していくようなチェックも必要。面白い仮説はできてきたので、データと照合していきたい。1週間あればできそうなんだが・・・。
木曜日からはゼミも始まる。今年度の方針も考えないといけない。今年からは特に研究グループの活性化をはかりたい。ここ何年かいろいろなスタイルを摸索してきたが、今年は研究グループを基盤としていくことを試行してみたい。そのほうが学生には取り組みやすいはずだと思う。
学生、OBと一緒に書いている論文提出も間近に迫った。
まちづくりの仲間との重要な打合せも控えるし、今週は勝負どころか。

studio-Lの山崎さんから教えてもらったtwitterがだいぶ軌道にのってきた。まだ良くわからないところもあるのだが、なんとなくつぶやく習慣が身に付いてきた。ブログとちがって、ホントにつぶやく感じ。その時、その瞬間の気分や思いに向くのがtwitterかな。書き込む内容はほとんど考えない。時間をかけずに、思い付きをつぶやく。それに共感してくれる人は返事をくれる。私も面白いつぶやきには返事する。そんな感じ。twitterはフォローしてくれている人が分かるのも面白い。私の場合、都市計画やまちづくりに関心のある人が多いのは確かだが、それだけではなくて、実に多彩な人がフォローしてくれている。全国のいろんなひとだ。これはtwitterがなければありえなかった接点。新しい刺激を与えてくれる可能性がある。山崎さんのように1日に何十回とつぶやくわけではないが、しばらくやってみよう。なにかクリエイティブなツールとして使える予感がする。

2010年4月12日月曜日

アクアパッツァ

週末。料理してみました。ちょい濃いめの味付けになったかな。白ワインではなくベルモットを使ったのが影響したか。
いつも料理しているわけではないですが、たまーにやります。
セラドンの器に入れているのでトムヤンのように見えますが、れっきとしたアクアパッツァです。

2010年4月9日金曜日

箕面de川床

大阪府から連絡をいただいた。水辺の社会実験がまたひとつ。北浜テラス、中之島BANKSについで、郊外でも取り組みが始まる。箕面の滝道での試みだ。
京都では貴船、高雄、鷹ヶ峯で知られる川床。大阪でも郊外の観光地の活性化方策として期待される。
箕面市の進めるまちづくりでもあり、大阪府の進めるミュージアム構想の一環でもあり、河川室の取り組みでもある。関係者の連携で魅力あるコンテンツづくり、風景づくりの実現にこぎつけた好例。
まだまだやれることはある。魅力的な水辺があるまちはどんどん検討してほしい。

興味あるひとは是非足を運んでみて。私も堪能しにいきます。詳細はリンク参照。

 ・日  時 : 平成22年4月29日(木曜日)~平成22年5月16日(日曜日)
          午前11時から午後5時
 ・場  所 : 府営箕面公園(阪急電鉄「箕面」駅から徒歩10分程度)
 ・主  催 : 箕面川床協議会
         ※構成員(箕面市、箕面市観光協会、箕面商工会議所、大阪府 他)

劉さんと連絡取れました

劉さんと連絡がとれました。よかったです。
元気にしてました。
遼陽市住房和城郷建設委員会というところで、都市計画の実務に取り組んでいます。

2010年4月8日木曜日

花村周寛の市大病院でのインスタレーション

本日夜船場アートカフェの打合せ。今年度の活動についてみなで議論。船場での展開をどう進めていくかでいろいろなアイデアが出た。
その後、花村周寛さんの市大病院でのアートインスタレーションの報告を見る。医学部の山口悦子先生と一緒に展開しているプロジェクト。これもアートカフェの活動。とにかく、とても素敵なインスタレーションだった。ちょっと感動モノ。
病院という場所は医師、看護士、患者など、病院にいる人が自身の置かれている環境を忘れることが難しい場所だと思う。患者をみる人、みられる人、治療する人、される人という固定化された関係がそこにはあるし、病院はやはり病気を直したり、療養することに特化している場所だから、それ以外のことをするなんて、ふつうは思いもつかないはずだ。みな自分の置かれた環境を冷酷に自覚しているのが日常という場所なのだ。
しかし、そこにアートをもちこむ。とびっきり上質のアートを持ち込むだけで、人々の顔が変わる。そこにいるのは医師でも、看護士でも、患者でもなく、アートを鑑賞するという体験を共有する人だけだ。そして、人々の顔は笑顔。仮面を脱いで、素直に素敵なものに感動する当たり前の人間に戻る瞬間だ。

われわれが取り組んでいるまちのコモンズもまさに同じ発想。忙しく働くだけのオフィス街という価値しかない場所に、アートを持ち込むことで、企業戦士も、ワーカーもひとりの人間に戻ってまちを見ることができるようになる。豊かな感性をそなえた一人の人間に戻れれば、きっと都市の空間を豊かに使いこなす発想も湧いてくるし、そのためのデザインを都心が欲するようになれば、人はさらに幸せになれる。そんな試みを目指している。まったく同じだ。
コギレイな空間だけを意味なく量産したって、決して都市は豊かにはならない。人々の都市を見る心を揺れ動かす仕掛けが同時に必要なのだ。

とはいえ、花村氏によれば、病院でアートを展開することは解決すべき課題も多いそうだ。特に予算の確保。まちのコモンズも毎年その活動費の確保に頭を悩ませているが、病院でのインスタレーションも同様。ただ、病院であれば、医薬品メーカーとか医療機器メーカーなど医療に関わる企業も多い。こうした企業のスポンサード、CSR活動で病院でのアート活動は展開できないのだろうか?そんなことを思った。確かに、医療の場、治療の場はそれ以外のことは不要と切り捨てることも可能だろう。しかし、医療に関わる人、治療を受ける人も、それ以前に人間なのである。素敵な体験には素直に感動する一人の人間なのだ。病院という場所がもっと豊かな環境概念を獲得するには、まず人間を受け入れる場所なのかどうかということを問い直すべきではないだろうか?その活動を支援する企業の理念や姿勢は大いに評価されると思う。
タフな場所で過ごしている人々だからこそ、活動の意義も深く理解してくれるはずである。
花村周寛のようなアーティストがもっと活躍できる場所を都市はつくるべきなのだ。
というような思いをもった時間だった。
ホントは仕事をしないといけないのだが、ちょっとこのことは書いておきたかったので。

花村氏のブログにインスタレーションの写真があるので、興味あるひとは是非。

病院で思い出したことがひとつ。
最近医療モノのテレビドラマが流行しているようだが、昔から病院を舞台にしたドラマっていうのは「屋上」をよくロケ現場にしているように思う。これって定番だよな〜って思っていたのだが、何故そうなのかは深く考えたことはなかった。
それが花村氏のインスタレーションをみて良くわかった。病院の建物の中には、医師や患者といった登場人物に医師であること、患者であることを忘れて一人の人間に戻す場所がないのだ。どうしても院内で、かつ白衣やパジャマといったコードが提示されると、それは一人の人間ではなく、医者であり、患者としてしかモノを見れないのだろう。多分医療の現場でもそうなのだと思う。生死と隣り合わせのタフでシビアな場所がそこにはある。
それで、人物の心理描写を投影するようなシーンでは、一切の周辺を切り取って空で囲い込み、裸の人間がそこにいるという状況をつくりだすために、屋上を使うのだろうというようなことを思った。

そのことを考えていると、またふと別のことが頭をよぎった。20年ほど前の記憶だ。私が学生時代に研究室の先輩がゼミで、「夕焼けの研究がしたい」といったことを思い出した。景観を研究する研究室だったから、眺め自体を扱うことは問題がない。しかし、夕焼けを扱うというのはちょっと聞いたことがなかった。ゼミのみんながきょとんとしていると、先輩は自分でもうまく説明できないけれどという前置きをしながら、おもむろにその理由を説明しはじめた。先輩曰く、夕焼けを見ているという行為は夕日を眺望、鑑賞の対象としてしげしげと眺めているというわけでもないが、まちを歩いていて、キレイな夕陽に出会うと思わず立ち止まり、全てを忘れて何となく感動してしまうチカラをもつと言っていた。その感動をなんとか解き明かしたいと彼はいった。
その時のゼミの議論でも、その体験の告白には皆おおいに賛同したのだが、果たして研究としてどう成立させるのかということについては結局いい答えを見出せなかった。残念ながらこのアイデアは論文にはならなかった。が、この問題意識は前述の病院でのインスタレーションと同じことのように思えてきたのだ。
ところで、その先輩はいま国土交通省で役人をしているはずだ。霞ヶ関というのもアートが必要な場所のような気がするが、先輩は夕焼けのことを覚えていてくれるだろうか・・・

だいぶ話がそれたが、花村周寛。恐るべしです。

劉さんと連絡をとりたいです

研究室OBOGの方、もしくは劉さん本人へ。
研究室卒業生の劉暢さんと連絡をとりたいのですが、メールも携帯もつながらないようです。
どなたか連絡先をご存知ないでしょうか?
お教えください。

2010年4月7日水曜日

新シーズン

4月6日。大学院、学部の新入生ガイダンス。大学院生は昨年まで4回生で見慣れた顔も多いが、意外と外部からの入学生も多い。M1は大学生活のなかでも最も重要な時間といっても過言ではない。先生方からは思い切り自分のやりたいと思えることを見つけて欲しいというアドバイスが多かった。とにかくM1の時にいろんなことを経験することが大事。都市計画研究室でもフィールドに飛び込んでもらい、理屈ではなく、実際のまちを肌で感じてもらいたいと思う。
1回生は初々しい新入生といった感じ。まだまだ緊張しているようだけれども、大学生活を満喫してほしい。遊びに勉強にアクティブに。ようやくやりたいことを好きなだけやれるわけで、貴重な時間を無駄にしないで欲しい。4年は長いようで短い。あっという間に過ぎてしまう。興味ある多くのまちを訪れたり、1年で100冊読破するなど、目標を決めて行動するのもいいかもしれない。私は勉強やサークル活動以外では、年間100本以上の映画を見ることを目標にした。およそ1週間に2本。多い年は200本は見たので、4年間で500本くらいの映画は見たと思う。映画館に行ったり、レンタルビデオを借りるとお金がもたないので、レンタルビデオ屋でアルバイトをしたくらい(アルバイトは一定本数無料で借りられた)。もちろん新作なんかはダメだけれど、その分旧作は手当たり次第見たことを思い出す。
ガイダンス終了後、新年度の設計演習の課題打合せのため、梅田サテライトへ。非常勤講師の先生方、横山先生らと打合せ。いろいろとアイデアがでて、今年も面白い演習課題になりそうだ。その後近くの居酒屋で、四方山話。三谷さんが夏休みにシチリアに行く話、横山先生がスロベニアに行く話から、建築家は消すデザインができるかといった本質的な話題まで。つくることを宿命づけられている我々に、成熟社会にあって間引く、消すといったデザインが果たして可能なのかという問題について語り合う。結論が出る話ではないが、盛り上がった。
明日から講義が始まるので家に帰ろうとしたところ、忽那裕樹さんに呼び止められ、そのまま新地へ。もろもろの相談をうける。水都大阪2009が終わったあと、大阪の水辺をこれからどうしていくかという問題はとても重要だ。私もこの問題はとても気がかりだ。橋爪紳也先生もとても気にしている問題。ちかごろはこのことを話題にすることがとても多い。それだけ多くの人が気になっているのだと思うし、その分可能性や期待も大きいということだろう。議論が尽きないまま、途中から中西さんも合流。話題はCSRに移っていくが、中西さんの話は面白かった。肉がキーワード。いかに理屈や専門家のいうことがあてにならないかという例え話だったのだが、他のお客さんも巻き込んでバー全体が爆笑の渦に。肝心のネタは中西さんに直接聞いてみてください。
ハマコーのtwitterが面白いという話、山崎さんの怒濤のtwitterがすごいという話などなど、次第にテーマは情報、コミュニケーションに話題が移る。
情報通信がコミュニケーション、アート、社会のあり方、ひいては都市のあり方まで変えようとしていることは事実。情報通信という協力なツールを得て、我々は都市をどのように変えていくのか、どのように捉えていくのか、それはなんの意味があるのかというような話題に。企業CSRの活動とからめて、都市、地域の再生方策や新たな空間像を摸索するというようなアクションを起こしていくことを語り合う。まだまだ抽象的だが面白いプロジェクトになるかもしれない。
少々飲み過ぎてしまったが明日から授業なので先に失礼する。タクシーで帰宅しすぐ爆睡。