とりあえず書き込みはするのだが、双方の使いこなしはまだまだの域。
それはそうと、論文の構想がどんどん大きくなってゆく。調べれば調べるほど勝手に面白くなってしまった。はやくまとめたいのだが、GWまで時間がなさそう。細切れの時間ではフレームワークまで至らない。GWに気合い入れて進めてしまうつもり。
そんなこんなしていると、某氏から檄メールが飛来してきて、この2年ぐらい忘れていた記憶が甦ってきた。50年後に大阪という大都市は在るのか?関西という大都市圏は生き残っているのか?という課題だ。そのテーマに自分はどう関われるのか。なにを提案できるのか。
間近に迫る深刻な問題は多い。だから将来像のデザインはする余裕がない。それがズルズルと20年続いてきたのがいまの関西であり、大阪のように思う。もちろん何もしてこなかったわけではないが、思考停止を続けてきたといわれてもしようがないのも確か。
これ以上どこに仕事を増やす余地があるねん?という気もするが、大阪で都市計画・都市デザインの学者をやっている以上、やはり避けては通れない。読んでくれている人には訳が分からないような書き方で申し訳ないが、アイデアがまとまれば、また披露させてもらいたい。
こうしてまた一つ、仕事が増えていく。
ゼミの研究グループはどうなっただろうか?本日はM2の修論テーマゼミ新年度1回目。その線で行けそうなテーマから、よくわからないテーマまで様々なのも例年どおりか。
研究で重要なのは、自分がその道の最先端者であることを自覚すること。パイオニアとなる気概を持つこと。同じ方向を進んでいる人はいるが、自分と全く同じベクトルは研究である以上存在しない。つまり、自分自身がある方向に動く物体であることを理解できるかどうか。自分は静止していて、他のものを観察しているだけでは単なる評論であって研究ではない。自分は何に興味をもち、何をするのか。それが具体的に出てこなければ、まさに絵に描いた餅。いかにいいことを言っていても、正しいことを言っていても、それだけでは研究は前に進まない。自分のアクションのみによって研究は前に進む。眼の前にレールはない。だからイバラの道に違いない。だからこそ、自分の興味あるテーマが必要。
来週は4年生諸君のゼミ。まだ研究とは何かが良くわからないだろうが、自分の感性に忠実にあってほしいし、自分と同じ構造の脳をもって似たようなことを考えた人の成果(=既往研究)を何度も読み返しつつ、自分の記憶、経験を総動員して、解き明かしたいことを考えて欲しい。そして、明日まず自分はなにをするべきか考えて欲しい。その延長線上に満足のいく研究成果が待っている。次どうすればいいか分からないのに、1年後に素晴らしい成果があるはずがない。間違った方向であっても、そのことに気づけば戻ればいい。
0 件のコメント:
コメントを投稿